太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

デジタルガバメントに希望はあるか

菅新政権において、デジタルガバメントが政策の柱になり、かつてない期待が寄せられている。政権発足後、デジタルガバメント閣僚会議は格上げされて、議長が総理大臣になる形で改組された。その下には3つの検討会が設置されている。

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マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ 第3回会合

どれも年内に取りまとめをし、年明けの通常国会に関連法案が提出され、来年の秋にはデジタルガバメントの司令塔になるデジタル庁が発足する見込みだ。期待と同時に「どうせ」という声も小さくない。検討期間はあまりにも短く、検討の場は現場からあまりに遠い。さらに言えば、行政は検討したことを伝える力がとても低い。

今回、ご縁としか言いようがないのだけれど、3つの検討会全てに構成員として参加させていただくことになった。どうすれば未来につながるアクションが起こせるのか、ということについて私見をまとめてみた。正解はないが、いくつか良い問いを投げ込めたと思いつつも、10年後から振り返って、どう評価されるだろうかと自問自答している。

みんなで我慢 対 It’s now or never

まず、検討の背景をざっと整理しておきたい。デジタル政策が新政権の目玉になった直接のきっかけは、新型コロナウイルス感染の危機に対して、日本の公共におけるデジタルが全く役に立たず、海外と比べて大きく遅れていることが明らかになったことだ。特別定額給付金は、入り口はオンラインなのに裏側は人海戦術になっていたり、感染者の情報を保健所から集める手段はファックス、という具合だ。 

海外に目を転じると、中国はデジタルをフル活用して、パンデミックを押さえ込んだ。また、濃厚接触者追跡アプリの開発において、国家よりもGoogleやAppleが主導権を握っていることも改めて認識された。ただし、2018年あたりから、テクノロジーに対する不信や管理社会への不安の声が大きくなっている。

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健康QRコード。色によって移動が制約される。

どこで日本は遅れたのか。いわゆるIT基本法ができたのは2001年。Amazonが日本でサービスを開始し、海外から日本のiモードはすごいと注目されていた頃だ。IT基本法は、ブロードバンドの普及を牽引した。しかし、その後、日本はIT産業を除くほぼ全産業が、20年にわたってテクノロジーを活用して生産性を高めることができず、IT敗戦と呼ばれて、今日に到る。この間、政府はe-Japan戦略やu-Japan戦略をぶち上げたが、成果はなかった。

こうした状況の中で、二つの意見があると思う。一つは、日本は痛みを伴うデジタルによる改革を本音では誰も望んでいない、というものだ。公共セクターも民間セクターも低い生産性で、みんな我慢すればよいというのが当面の国民的合意であるとする。政治家は「ITは票にならない」と言い、経営者は「心の内なる岩盤*1」がいまだに崩せないでいる。

もう一つの意見は、この状況をチャンスと捉えるものだ。まだ大きな流れにはなっていないが、尖った人材が挑戦を始めている。政府の会合で、僕の隣に座っていた村井純さんは、こう吠えた。It’s now or neverと。

縦の壁、横の壁、国民の壁を壊せるか

IT担当副大臣を務め、政府の重要政策を数多く立案している平将明さんは、課題はテクノロジーではなく、構造的なものであり、霞ヶ関は現場の対応に手一杯で、これまで構造を変えられなかったと喝破する*2

6月に設置された「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ」は、縦割りと横割りの弊害を打破することに主眼を置いている。

例えば「読み仮名の法制化」は、これまで何度も検討されてきたが、実現しなかった。現在、カナ氏名には法的な根拠がない。今回の特別定額給付金でも、行政がカナ氏名を持っていないために、カナ氏名で口座を管理している金融機関の振り込み口座の確認に問題が生じている。カナ氏名を所管しているのは法務省だが「カナ氏名がなくても、漢字を目視すればよい」という珍解答などで、これまで法制化を避けてきた。

また、特別定額給付金で、郵送の場合は予め申請用紙に世帯全員の氏名が印刷されているのに、オンラインの場合は一から自分で入力しなくてはいけないのは、国と地方の横割りのためだ。引越しのときに、様々な手続きを一括で出来ないのも同じ理由だ。住民基本台帳は自治体の事業で、霞ヶ関での所管は総務省だが、住基ネット訴訟などを理由に検討してこなかった。ワーキングでは「マイナポータルにおける申請項目の自動入力」や「本人同意に基づく基本4情報等の提供」が検討されている。

このワーキングでは、33の課題について、2025年までにやりきる工程表を作成している。上記も含めて、縦割り・横割りの壁を壊すものだ。ただ、全体最適の視点がないため、構成員連名で提案したものの一つが「トータル・デザイン」になる。これは、2022年までに、特別定額給付金などの突発事務については、共通SaaSで対応できるようにし、また2025年を目標に、行政データとシステムをクラウド上に置き、データのバケツリレーを止めて、スムーズかつ効率的に行政手続きを行えるようにすることを目指している。

全員が参加する祝祭

「国が国民の情報を管理するのは怖い」という国民の壁については、10月から始動した「デジタル改革関連法案ワーキンググループ」で焦点を当てることになった。座長の村井純さんが第1回会合で提案した「誰一人取り残さない」というIT基本法改正の大方針について、最後まで熱量が下がることがなかった。1ヶ月半という極めて短い検討期間だったので、村井さんの呼びかけで、構成員が集まって、朝7時からのオンライン会議を数度にわたって行った。

今回の法改正によって、「IT敗戦」と言われながら、政治家や経営者がデジタルによる変革に本気を出さない現状が変わるだろうか。世代交代が進むのを待つしかないのだろうか。

朝会で議論を重ねる中で、視点の転換があったように思う。これは賭けであり、法律にどう反映し、どのように実行されるか分からないが、ワーキングでは「デジタルは祝祭である」という方針を打ち出した。現時点の案は「デジタルの日」を設けることだ。一見、ふざけた提案に見えるかもしれない。批判もされるだろう。でも、やる価値はあると考える。

今年、東京都の新型コロナ対策サイトで注目されることになったCode for Japanのビジョンは「ともに考え、ともにつくる」だ。Code for Japanサミットに参加してもらえば感じられると思うが、ここには祝祭性がある。台湾のIT大臣で、シビックテックの活動を牽引してきたオードリー・タンさんと落合陽一さんの対談でも、祝祭性が議論されている*3

デジタルが「祝祭」として身近なものになり、いろんな人が地域のことに参加するようになれば、大きなシステムもゴロッと変わらないだろうか。今回、新型コロナ対策サイトが、東京都を出発点に、何千人もの人が参加して、30を超える自治体に広がったことは、未来の兆しとは言えないだろうか。日本は、政府に対する信頼は残念ながらかなり低いが、自治体に対しては高い信頼があることも、国民の壁をなくすために大事なポイントだと思う。

個人的には、デジタル空間で生きる力やコンピテンシーについて提案した。今回のパンデミックでも、インフォデミックが問題になっている。また、フェイクニュースやネットでのいじめ、フィルターバブルなど、負の側面は次々と顕在化している。一方で、ネットゲーム禁止、スマホ禁止など、思考停止した対応が生まれたりしている。世界経済フォーラムやOECDでは、数年前からDQ(デジタル・インテリジェンス)*4が広がっているが、日本でも全世代(特に子供)について、このような取組みが必要だと思う。

デジタル庁については、期待することが積み上がっていき、戦略の重要な要素である資源配分については、まだ十分な議論ができていない。行政DXに対しての満足度を定点観測するのは、戦略立案の一歩になるはずだ。例えば、エストニアでは、電子政府に対する2012年の一般市民の満足度は67%、起業家は76%だ。2020年の目標は、それぞれ85%、90%となっている。日本では、法人の満足度は、国と都道府県が連携すれば早く高められると思う。また、市民については、自治体によって、あるいは医療、教育等の分野によって相当大きなばらつきがあるはずで、それが戦略の出発点になるはずだ。

度量衡をつくる覚悟はできているか

最も最後に立ち上がったのが「データ戦略タスクフォース」だ。ここは一言でいえば覚悟が必要で、公開される資料からはなかなか読み取れないと思うが、関係者間で厳しい交渉が今なお続いている。

検討の焦点はベース・レジストリと呼ばれるデジタルにおける台帳だ。これはスマート化社会を動かす度量衡と言ってもよく、いまの日本は、1メートルという単位がデータ間でバラバラという状態だ。どういうことか。

例えば、不動産登記情報にある公図や地図が現況と異なることは、何となく聞いたり、あるいは身近なところで経験したことがあるはずだ。長い時間をかけて地積測量が進められているが、税金との関係もあり、進捗ははかばかしいとは言えない。また、古いデータは、相対座標、すなわち緯度・経度データがなく、デジタルの上で扱うと、どこにあるか分からない。これを人海戦術で正しいデータにするのは途方もない時間がかかる。

個人情報についても、先ほど書いたカナ氏名の問題があり、少し面白おかしく書いたが、実際にデータを整える中では、様々な困難が想定されている。法人データも同様だ。

地図データなどはよい例だが、紙で使っていた時はとくに問題はなかったのが、コンピュータで扱うと問題が起こる。そこで、データモデルを定めて、データを確認し、綺麗にする必要がある。デジタルガバメントで先行している北欧では、10年単位の時間がかかっている。台帳には国の歴史が刻まれており、特有の課題がある。 

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まさに国家的な事業であるが、国は最大のデータ保有者であり、ベース・レジストリを含むデータの質を高め、オープンにしていくことによる社会・経済への効果は計り知れない。ワーキングでは、グリーンインフラとグリーニング制度について説明した。前者は、デジタル空間でインフラを設計することで、コンクリートで自然を押さえつけるのではなく、逆に自然や環境を利用したインフラを実現できるというものだ。河川などがガラッと変わり、地域の価値が大きく高まる。後者は、環境に正の影響を与える農業や林業についてインセンティブを与えること。データで作付けの多様化や土壌の変化などを解析することが可能になったことが背景にある。

データ駆動社会といわれて久しいが、最大のプレイヤーである行政が参加することによって、目に見える形で、サイバー・フィジカルが体感できるはずだ。

中くらいの政府である意味

祝祭もいいけれど、今回のデジタルガバメントには明確な理念やビジョンがない、という指摘があるかもしれない。これについて個人的な考えを述べて締め括りたい。

国民負担率(国民所得に対する税と社会保険の比率)で見ると「中くらい」の政府であるのが日本だ。小さな政府の米国は、行政に頼らない自由を理念として大切にしている。大きな政府の欧州は多くのサービスを担う国家について明確な(カッコいい)ビジョンを謳い、豊富な人材で実行している。日本はその間にある。ワーキングで、ある構成員の方が発言されていたが、北欧などに比べると、日本では行政サービスを使う頻度は低い。

祝祭性や「ともに考え、ともにつくる」という運動は何を生み出すだろうか。小さくて大きな政府、すなわち、行政は質の高いデータを公開したり、民間と連携してサービスを高めていく基盤的な位置づけで、その上に築く社会は、その地域の人たちで描いていく。テクノロジーはできるだけ民主化し、テクノロジーに人が使われるのではなく、使い倒す力を身に着ける。この運動が、そんな未来を拓いていくのではないかと期待している。