会津について、ICTやデータ利活用という観点で、これまで断片的に見たり、聞いたりしたことを時系列でまとめてみた(随時修正&更新)。
改めて思うのは、10万人規模のエリアは、イノベーションが高速で起こるのにちょうどいい規模ではないかということ。会津の場合、一人のリーダー・組織が引っ張っているのではなく、複数の流れがあって、その多様性がいい。
1993年
会津大学が設置される。国内初のIT専門大学。4年制大学の設置は「会津の悲願」といろんな人から聞く。設立当初から英語にも力を入れている。例えば、学士論文も英語。
1995年
会津大学で通訳・翻訳をしていた山寺純さんが、Eyes, Japan(当時は「あいづ・ジャパン」)を創業。IT x グローバルで強烈な活動を始める。当時、企業のウェブサイトの数が東京と同じくらいあるという、会津はネット活用の特異点だった。
2002年
会津大学産学イノベーションセンターがオープン。その後、会津大学は、学生数に対する大学発ベンチャー数で全国トップに(2014年の日本経済新聞社産業地域研究所調査)。デザイニウムや会津ラボなど、地域企業がICTを牽引している。
2004年
知る人ぞ知る、日本で最もレベルが高い競技プログラミング、Aizu Online Judge (AOJ)が構築される。一般公開は2009年。
2011年
8月:室井市長が就任。家業の室井商店はIT事業を営んでいた。
同月:アクセンチュア(中村彰二朗さん)が、福島イノベーションセンターを設立。
12月:会津若松市が、ICTを柱とした復興計画を策定。
会津若松市は「日本の1000分の1スケールの実証フィールド」を宣言。
2012年
2月:山寺さんがFukushima Hackathon開始。
4月:会津大学で、データアナリティクス講座開設。240人規模。エストニアのタリン工科大と連携。
5月:会津地域スマートシティ協議会設立。
西会津で江戸時代から続く農家の19代目、矢部佳宏さんが、ウィニペグ、東京、上海でランドスケープアーキテクトとして経験を積んだ後、故郷に帰り西会津国際芸術村のコーディネーターとなる。クリエイターの交流が増え始める。
2013年
会津大学准教授の藤井靖史さんがCode for Aizu創設。会津は、日本でシビックテックが始まった地域の一つ。オープンデータカフェなどを開始。
オープンデータプラットフォーム「Data for Citizen(市民のためのデータ)」を整備。133のデータ、43のアプリが開発・提供されている。
データ活用の第1号として、エネルギー需給管理が成果を出す。市民がデータ活用を体感。
2015年
会津若松市の「アナリティクス産業の集積による地域活力再生計画」が内閣府によって認定される。
7月:会津若松市、会津大学、企業の包括連携協議会発足。16年7月の総会に参加したが、熱気があって良かった。
同月:会津若松市が、経産省の「地方版IoT推進ラボ」の第1弾選定地域として採択される。
12月:市民と行政のコミュニケーションプラットフォーム「会津若松+(プラス)」がオープン。数%のデジタル利用率を30%まで引き上げることを目指す(2019年時点で20%を超えている)。
2016年
7月:室井市長が、総務省の「地域IoT官民ネット」の発起人の一人になる。
11月:会津大学生のプロジェクトが発展し、仮想通貨「萌貨」の実証実験に。後に、会津大学の仮想通貨「白虎」へ進化。
12月:ICTオフィスビル建設予定地のそばに、穂積昇平さんが自家焙煎のラバーズコーヒーをオープン。質の高いコーヒーが、エンジニアやクリエイターを魅了。
2017年
8月:地図のウィキペディアと言われるOpenStreetMap(OSM)の国際大会が開かれる。OSMがハザードマップなど様々な用途で使われており、会津若松は世界中のマッパーの聖地の一つとなる。
1000人規模のヘルスケア・ウェルネスの実証実験開始。
会津大学がTHEの世界大学ランキング(日本版)で23位。2018年版では15位に。
2019年
4月:ICTオフィス「スマートシティAiCT」が開所。500人の雇用創出。