太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

ディストピアを手触り感をもって味わう、『献灯使』を読んで

近未来の日本 ー 大厄災が日本を襲い、東京23区には人はほとんど住んでいない。九州や東北、北海道は豊かな暮らしをしているらしいという噂を聞きながら、「西東京」と呼ばれる地域の仮設住宅に、100歳を超える「元気な」老人と、身体の弱いひ孫が暮らしている。

この社会に、インターネットはない。家電製品もだんだんと使われなくなって、衣食住は、それに合わせたものになっている。産業がなく貧困化が進む東京では、特産物をつくって村おこしをしようと、「江戸」というブランド名をつけたプロジェクトが動いているが、なかなか東京ならではという特産物が見つからない。

政治や市場のしくみは、気がつけば姿を消している。家や家族というしくみも。

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このブログでは、日本の将来シナリオについていくつか記事を書いているけれど、どうしても抽象的・分析的になってしまう。多和田葉子さんの『献灯使』*1は、手触り感のある形で、ひとつの未来の姿を味わうことができる。

「ディストピア小説」に分類されるのだろう。けれども、個人の視点から、筆者のユーモアのスパイスを効かせて書かれているので、あまり悲惨な感じはしない。ただ、老人と若者の役割の逆転は、胸が苦しくなる。老人が若者を支える社会になっていて、「なぜこうなったのか」「なんとかできなかったのか」という老人のつぶやきに、少し自分も没入してしまう。物語について、批判的な気分が時折おこるのは、3年近く国で仕事をしたせいかもしれない。なんとかできなかったのだろうか。

あとがきを書いているロバート・キャンベルさんの表現がしっくりくる。

ふつう近未来の世界を描くのに何10本もの色エンピツを使い分けてヴィヴィッドに仕上げるけれど、そうはせず、彼女は尖端が少し鈍い、抑えめの色を2、3本選び抜いて実直に輪廓だけを描いています。だからか、イメージはいつまでも消えないし、2度読んでも興ざめしません。 

この物語では、いろんな価値が逆転しているけれど、そうなったらそうなったで、日々の暮らしは続いていくのだ。読みながら、そのことをしみじみと味わった。ただ、その転換がどうやって起こるのか。そのことにとても関心がある。