太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

放送村のある出来事 | CASという岩盤をめぐって

規制改革推進会議から放送について意見を求められ、2018年4月の第26回投資等ワーキング・グループ(座長は原英史さん)に出席した。同年6月に閣議決定された規制改革実施計画に基づいて、総務省で4回にわたる検討の場(分科会長は中村伊知哉さん)が設けられた。

結果は、規制改革推進会議からの検討要請に対して、ほとんどゼロ回答であった。論点は、簡単に言えば

BSデジタル放送の有料放送(NHKのBS、WOWOW、スカバー)を見るための機能を、全ての4Kテレビに、しかも利用者の費用負担で実装することを変えられないか

ということ。ちょっと分かりにくいかもしれない。

有料放送を見るためには「加入者識別」が必要だ。技術的にはいくつかのやり方があるのだけれど、日本だけが、有料放送を見る見ないに関わらず「B-CAS」という形で、全てのテレビに同梱される。そのしくみが、4K・8Kテレビでも踏襲されている(「ACAS」と呼ばれている)。

異なる意見がどうまとめられたか(まとめられなかったか)?

規制改革推進会議に提出した意見*1

CASの3つの機能のうち、「加入者識別」と「メッセージ機能」については、全視聴者には不要。B-CASカードは無償貸与という形で放送事業者とメーカーが負担していたので、費用負担という面では消費者の不利益は少なかったが、ACASチップは消費者に払ってくださいとなっている。これは、有料放送の契約者にとっては、不当な取引条件ではないか。また、契約者でない方にとっては、不用品の強要ではないか。

総務省からは「関係事業者間で話し合って決めていることなので、知らん(注:霞ヶ関文学を翻訳)」という発言。

規制改革実施計画(平成30年6月15日閣議決定)

(3) 放送を巡る規制改革

28 新たなCAS機能の今後の在り方の検討

新CAS機能搭載の機器に関しては、故障時などにおいて消費者の負担を低減させる必要があるとの指摘や、スクランブル解除機能と契約者識別機能が一体化されているが、これを分離すべきとの指摘を踏まえて、一方で既に現在の仕様に基づいて本年12月の放送開始に向けて商品開発、設備投資が進んでいることも考慮しつつ、新たなCAS機能の今後の在り方について、消費者を含め幅広く関係者を集めた検討の場を総務省において早期に設置し、検討を促す。

 総務省の新たなCAS機能に関する検討分科会*2

取りまとめ案は「CAS機能の見直しは不要。費用については、関係事業者間でやってくれ(注:霞ヶ関文学を翻訳)」というゼロ回答。

ただ、関係者の資料や意見は公開されているので、並べてみたい。

  • 新CAS協議会:ACAS方式においてもB-CAS方式と同様に、放送事業者と電機メーカーとで方式運用に関わる費用を分担している。
  • 電機メーカー(個社):B-CASカードは視聴者に無償貸与だが、ACASチップはメーカーが購入し、受信機価格に反映される(すなわち視聴者負担)。その額は1000円から2000円。
  • 主婦連合会:ACASチップになって、初めて消費者負担に切り替わった。受益者である放送事業者が費用負担すべき。

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主婦連合の資料から。結果として、この分かりやすい課題提起はスルーされた。

こうして比べるとよく分かるのだけれど、新CAS協議会は嘘は言っていないが、消費者負担について検討せよという論点に答えておらず「同様に」という言い方で論点をズラしている。もう一度やったら、あるいは自分だったら、どんな取りまとめをしただろうか。

参考:放送村の歴史の一幕

「放送村」の出来事も、行政の公開資料や議事録で一部を見ることができる。こうして時系列で流れを追うと、完全地デジ移行(2011年)とBS4K・8K放送開始(2018年)という節目に向けて関係者の駆け引きがあり、結果としては、NHKを利する形で進んでいる。NHKは、村の中でカネも技術も圧倒的なので、当然の結果なのかもしれないが、2020年代には、現状は肥大化の一途を辿っている公共メディアとしてのあり方が根本から問われると思う。

2000年

B-CASが運用開始され、BSデジタル放送が始まった。

2002年

総務省令が改正され、無料デジタル放送でも著作権保護が可能に、つまりダビングに制約がかかることになる。

2004年

もともと有料放送のために使われていたB-CASカードを、無料の地上波のコンテンツ権利保護に利用開始。ここで、B-CASカードの費用の一部を、これまで負担していた放送事業者に加えて、テレビメーカーが負担することになる。

他方で、デジタル放送のおけるコピー回数の制限(コピーワンス)についての視聴者の不満が高まっており、緩和措置や、そもそものコンテンツ権利保護のあり方についての議論が続いた。

総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(デジコン委員会、座長は村井純さん)」から、ダビング10(コピー9回、移動1回)が提案された。

2008年

6月の情報通信審議会第5次中間答申において、B-CASの見直しが提言された。背景としては、コンテンツ権利保護のあり方の議論の中で、なぜそれをB-CASで実装するのか、一社独占のB-CASがないとテレビを開発・販売できないのはおかしいのではないか、アナログ放送の時にはもっと多様なテレビがあった、という声が強くなったことがある。

デジコン委員会で議論が進み、池田信夫さんはASCIIの記事で「B-CASの廃止が事実上決まった」と書いている。

2009年

デジコン委員会からの中間答申では、B-CASの廃止には至らなかったものの、「既存のB-CAS方式だけではなく、新規参入促進やテレビの低廉化が促進するために新たな選択肢が必要なのではないか」「ライセンス管理・発行機関はB-CAS1社の独占ではなく、複数に」といった指摘を受けて、年内を目処に新方式の開発と運用方針をまとめることを提言した。

2010年

上記の中間答申まで、月に2、3回のペースで開催されていたデジコン委員会が、1年5ヶ月にわたって開催されず、12月に新方式の概要が示された。ソフトウェアによる権利保護のしくみやそのライセンスを発行・管理する機関のイメージが示された。

複数の委員から、遺憾だ、B-CASの問題は解決していない、技術的な議論という名目で密室で検討したのではないか、という趣旨の発言が議事録に残されている*3。翌年の地上デジタル放送への完全移行を前に、第5次中間答申を受けた検討は、ほとんど成果を残せなかった。デジコン委員会は、新方式の運用を見届けて、2012年7月に活動を停止した。

2013年

コンテンツ権利保護について、B-CAS方式の代替となる新方式「TRMP方式」が運用開始されたが、カーナビなど一部の機器にしか導入されなかった。

2014年

東京オリンピック・パラリンピックのために、4K8K衛星放送のロードマップにおいて、18年12月の放送開始を掲げる。

2015年

2月に新CAS検討準備会が発足し、ACAS方式開発が着手され、10月に新CAS協議会が発足。

以降、国会で新CASの課題が何度か取り上げられた。論点は、NHKの契約促進メッセージを表示する機能が消費者負担であり、ACASチップを推進している新CAS協議会の重要メンバーはNHKで固められており、費用を押し付けられた電機メーカーは泣き寝入りの状態ということ。