太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

富国有徳とは


川勝平太氏の『富国有徳論』(中公文庫)を読みました。ISLでの講演を聞き逃したので、とりあえず本だけでも、と思って買っておいたのですが、日曜の夜の憂鬱さを吹き飛ばす刺激がありました(毎週この手でいこうかな)。川勝氏の提言はこんな感じです。

新しい国づくりの目標は、富士山【rich and civil mountain「富み、かつ徳のある高峰」と英訳される】のような富国有徳の国がふさわしい。男性、女性を問わず、世俗にあって廉直な心を持続する者のことを『士』、豊かな物の集積を『富』と名づければ、両者を兼ね備えた『富士のごとき日本人』こそ新しい社会をになう日本人のめざすべき姿、とり戻すべき本来の日本人の姿でしょう。

これだけを聞くと、何かの団体の街頭演説のように聞こえてしまうかもしれません。そう書いてしまう私自身、心が曇っているかもしれません。しかし、川勝氏の主張には、ユニークな研究と広い視野があるのです。

まず、「文明の海洋史観」。これは同名で川勝氏の著作もある、実にユニークな歴史観です。綿の交易の研究から、イギリスの歴史は、綿を輸入していた海洋アジア(インド・イスラム社会)からの自立であり、一方日本は、中国から買うしかなかった綿を国内でまかなえるようになる。それぞれ「脱亜」の歴史が、二つの島国でほぼ同時に進行し、英国では産業革命、日本では勤勉革命が起こった、という歴史観です。教科書にある、西洋中心の世界史の中で、日本が「登場する」のとは随分異なった見方ですね。

「豊かな物の集積」は、マルクスラスキンという同時代の経済学者の比較からきています。「国富とは何か」という問いについて、ラスキンを取り上げながら、GNPなどのフローで測るのだけでなく、物をいかに使うか、という文化や生活に根ざした豊かさを捉えるべきだと説きます。少しスケールダウンして考えると、2002年に米国でJapan's Gross National Coolという論文が掲載され、日本でも話題になりましたよね。

「富国有徳」というコンセプト自体は、著者も述べている通り、幕末の横井小楠の思想からきています。私はあまりよく知らなかったのですが、勝海舟がもっとも畏怖したほどの人物だったそうです。これまで、「徳」という言葉について、自分なりに少し掘り始めていたのですが、ここで大きな鉱脈にあたった感じです。時間をかけて少し掘り下げてみたいと思います。