太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

シン・ニホンが群馬に上陸する

群馬県の新・総合計画策定の一環として、安宅さんが『シン・ニホン』について県庁で話をした。ちなみに僕は、総合計画策定懇談会のメンバーとして、昨年の11月から参加している。40分ほどのプレゼンの後、山本一太知事と安宅さんの対談と全体質疑が80分あった。お2人は最初は座っていたのだけれど、途中から動き回りながらの白熱した掛け合いとなった。

以下は、個人的な感想で、懇談会での議論とは直接は関係ないことをお断りしておく。

移住促進を至上命題にしない最初の県になるか

シン・ニホンの重要なメッセージの一つは「人口は減っていい」ということだ。その理由は、価値を生み出すやり方について、世界は根底から変わりつつある、という安宅さんの認識にある。詳しくは本を読んでほしいのだけれど、ポイントは

  • ビジネスでは、20年ほど前から、スケールではなく変化(例:テスラ)が価値を生んでいる
  • 先進国は人口減少に入り、新興国の人口増加もいずれ終わり、人口減少社会での課題がチャンスになる

ということ。加えて、日本については

  • 人口をいまの半分、あるいはそれ以下に減らせば、先進国の中でも際立って森林が多いことを活かして、ゼロエミッションにできる

という地の利がある。さらに、いまの新型コロナウイルス感染から

  • これからはウイルスを前提にした社会になり、密空間(都会)より疎空間(地方)が魅力

という大転換を予想する。

移住促進に熱心な地方にとっては、人口増は税収や交付金が増えるし、一方、人口が減ることで空き家は増え、学校や病院など様々なインフラの維持が困難になるので、人口減は容易には受け入れられない。ただ、一歩引いて見ると、そこに価値創造がなければ、移住促進は対処療法ではないのだろうか。

群馬県はピークの200万人から、2040年には2割減の160万人になる。その間、公費を投じて対処療法に走るよりも、人口減の中で、これまでになかったような価値を生み出す挑戦が、国内だけでなく、グローバルの人材を(必ずしも移住ではない形で)引きつけるかもしれない。「県民」の定義も変わっているかもしれない。

異人の時代

では、価値はどうやって生み出されるのか。シン・ニホンのキーワードで大事なのは「異人」だ。本書ではこのように表現されている。

  • 誰もが目指すことで一番になる人よりも、あまり多くの人が目指さない領域あるいはアイデアで何かを仕掛ける人
  • こういう世界が欲しい、イヤなものはイヤと言える人
  • 1つの領域の専門家というよりも、夢を描き、複数の領域をつないで形にしていく力を持っている人
  • 自分が仕掛けようとするどんな話題でも相談できる人、すごい人を知っている人。同じ分野の人間とばかり付き合っていてはいけない 

異人を生み出すことについては、シン・ニホンにヒントが詰まっているのだけれど、いま学校は大きく変わりつつある。2020年から、新教育課程が小学校、中学校、高校と順に始まる。「空気を読むための国語」や「ドリルのような算数・数学」から大きく変わるチャンスがある。その可能性ついては、新教育課程策定や教員の働き方改革推進のど真ん中にいた合田哲雄さんの本*1をぜひ読んでみてほしい。

もちろん、異人を生み出すことだけが学校の目的ではない。ただ、異人を殺さない教育は、1人1人が生きていく力をつけることにつながり、また、子供達と接する大人も大きく変わると思う。群馬県知事がビジョンとして掲げる「県民の自立」につながるのではないだろうか。

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この後、両側にあるホワイトボードは知事の質問に応えて安宅さんが書きまくる図で埋め尽くされる

ウェルビーイングを地域や産業に実装する

ここからは僕の個人的な妄想だけれど、ウェルビーイング(WB)という価値を、地域をフィールドに創り出せないかと思っている。特に注目しているのは、ドミニク・チェンさん達のチームが打ち出した「わたしたちのウェルビーイング」だ。人と人との間に生まれる価値について、会津若松をフィールドに、ドミニクさんと一緒にプロトタイピングを仕掛けているのだけれど、県レベルで仕掛けるとどうなるだろうか。「わたしたち/関係性」には、様々なインパクトがありそうだ。

  • 孤独の社会的費用が減る
  • 健康寿命が伸びる
  • 子供のレジリエンスが上がる

これらの中には、産業としての可能性もあるかもしれない。

この『わたしたちのウェルビーイング』は、よくある「(国民・県民)幸福度調査」とは必ずしも一致しない。多くの調査は、I first(わたし中心)で、ハイスコア・安定志向だ。しかし、今回のパンデミックの中で僕らが感じているのは、変化が常というこれからの社会において、I firstで得られる幸福は小さくなっていくということではないだろうか。「わたしたちのウェルビーイング」は、I だけでなくWeが大事で、テクノロジーを使って、その変化を捉えていく。

ただ、こうした一見「意識が高い」考え方がどれだけの人に受け入れらるのだろう。僕は、コミュニティが鍵になると思っている。『わたしたちのウェルビーイング』でも触れられているが、ともすると相反する力や価値観が働く、居場所としてのWBと課題解決によってもたらされるWBが、コミュニティの中で共存するかもしれない。

群馬県の可能性を感じるのは、例えば、山本知事のブログにある、このような熱量だ。

中之条町長時代に「ビエンナーレ」という地域の芸術祭を成功させ、定着させた実績を持つ入内島県議は、やはり「ただ者」ではない。答弁はほとんど知事。質問時間の8~9割を使って、地方分権のあるべき姿、群馬県が目指すべき理念や哲学を語り合った。

 何しろ、質疑の中で、ラッセルの「幸福論」とか、フランスの経済哲学者、セラジュ・ラトゥーシュの「デクロワサンス(脱成長)」みたいな言葉が(当たり前のように)飛び交うのだ。なかなか他府県の議会でも、こんな議論が交わされることはないと思う。(笑)

2、3年後に面白いうねりが生まれていると思う。

*1:『学習指導要領の読み方・活かし方』合田哲雄、2019年