太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

「なぜ働くのか」という問いは大事だけれど(後編)

「パフォーマンスが良くて、エンゲージメントが高い人の比率」について、経産省の伊藤さんを招いた勉強会で、参加者からの発言があった。その企業では、従来はパフォーマンスがHRの中心だったが、最近、エンゲージメントをもう一つの軸として重視している。

エンゲージメントとは「仕事/会社と自分との主体的な関わり」なんだけれど、例えばこんな問いで調べる。

「あなたは、この会社で働くことを友人に勧めますか?」

パフォーマンスが良くても「友人には勧めない」。こういう人がどの組織でも増えている。

最近は、ここでAIが登場する。エンゲージメントについて、社員からのフィードバックをテキストマイニングし、AIに学習させて、本人および上司がどのような行動をとればよいかが提案される。HRテックが、このところどんどん進化している。

さらに進んで、このループが、半年に一度とかではなくて、日々行われるようになる。「今日は少しやる気が下がっていますね。◯◯してみましょうか。」などとなるわけだ。こうなると、大層なビジョンや社内風土改革プロジェクトは不要になるかもしれない。

 

そこで、思い出すのは、ハラリの『サピエンス全史』とそれに続く『Homo Deus』だ。『Homo Deus』は未来の物語なのだけれど、技術が発達し、人間はデータを分析して最適化されて、近い将来、神のような存在になる、というお話。

ザッカーバーグは『サピエンス全史』を絶賛している。そうすると、彼の言う「誰もが目的意識を持っている社会」って、どういうことなのか?究極、フェイスブックに自分の体験がコピーされ、分析されて、ボットと話して日々を暮らしていると、やる気満々で、パフォーマンスも上がるのだろうか。

同じ文脈で、TEDから書籍化された、バリー・シュワルツの『なぜ働くのか』が気になる。堀内さんの書評*1にこうある。

つまり、人間の本質に関する理論は、実際に人間の行動に変化をもたらし、例え誤った理論であっても、人がそれを信じさえすれば真実となってしまう。正しいデータが誤ったデータや理論を駆逐するのではなく、誤ったデータが社会の動きに変化をもたらして正しいデータとなり、結果的に理論が正当化されてしまうのである。

うーん。ただ、難しく考えなくてもいいのかもしれない。例えば、「利他」が僕らの共通の物語となって、AIがそれを補強してくれて、いまぽっかり空白になっている「目的」を満たしてくれるなら。たった 6%の人しかやりがいを感じていない社会が変わるのなら。

一方で、個人の尊厳とか自分らしさとかはどうなるの?そんなことが気になるかもしれない。

 

 僕自身について言えば、実はあまり難しく考えていない。というか、「考える」と難しくなるので、「身体を使った」ワークをやったりしている。自分としっかりつながり、人とつながる。また、社会システムのさまざまな人が、それぞれ果たしている役割を感じる。そういう中から「目的」も感じとっていく。

うーん。こう書くと、なんだかよく分からないし、極めて怪しげだ。しかも、これもハラリの言うフィクションとしての物語だし。

ただ、ハラリは『Homo Deus』の最後を、この3つの問いで締めくくっている。大袈裟に言えば、ハラリと、ここにある写真の身体を使ったワークは同じところを見ているように思う。この海士町での話*2も、近いうちに整理して書いてみたい。

1. 我々の生体器官は、ただのデータの集まり(アルゴリズム)なのか?人生は、ただの情報処理なのか?

2. 知性と意識のどちらにより価値があるのか?

3. 心はないけれども極めて知性的なアルゴリズムが、我々について我々自身よりも知っているとき、社会や政治や日々の暮らしに、何が起こるのだろうか?

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*1:http://honz.jp/articles/-/44081『なぜ働くのか』アイデアにもテクノロジーが必要だ by 堀内勉さん。僕の知り合いの中で、もっとも本をたくさん読んでいる人。書評が面白い。

*2:"言葉でシステムを考える「システム・シンキング」ではなく、体でシステムを感じる「システム・センシング」に重心を置きたかった"(嘉村賢州)。ここに海士町で何が起こったか、記事があるので、興味があれば読んでください。この3日間は「超地域変革」のモデルになりうる ●コクリ!海士プロジェクト・インタビュー(1)愛ちゃん×賢州さん | コクリ!プロジェクト