太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

「プライバシー」というのも過去の風変わりな表現になる(のかな)

2017年5月30日、改正個人情報保護法が全面施行された。改正のいちばんの目的は「データをもっと活用する」ということ。そのために「個人情報」や「匿名加工」の定義を見直し、「オプトアウト」など個人の権利も強化している。

21世紀は、データが石油だと言われている。それを燃料に動くのはAI(人口知能)だ。データがないとAIは動かない。経済産業省の「新産業構造ビジョン」*1は、この観点でまとめられた力作だ。検討に関わった人たちの熱量はハンパない。

 

では、このビジョン通りに進みそうかというと、そんなに簡単ではない。僕自身がやりたいことは、どこかのローカルコミュニティで、技術への適応と、お金の価値や社会規範など、ぜんぶひっくるめたプロトタイピングなんだけれど、まずは「簡単ではない」という話から整理したい。

改正個人情報保護法について、施行日の朝刊で、読売新聞は1面に、日経新聞では2面に掲載されたけれど、静かなデビューだった。なにしろ見出しには「企業は手探り」とある。

理由は、自分の情報がどう使われるか不安な「消費者心理」や「個人の感情」があるからだ。法的には大丈夫でも、社会的なペナルティーが懸念されている。実際、札幌市が夏に計画していたデータ利活用の実証実験の一部は中止されている。また、2013年に起こったSuicaのデータ販売の事案は、今でも企業が様子見をする理由になっている。

総務省では、内閣官房のIT戦略室や経産省と連携して、もう一段踏み込んだ検討もしている。そこでの議論で感じたのは、データ利活用は困ると言って逆らってもダメな一方、真面目に利活用を推進するのも、結果として困ったことになりうる、ということだ。どういうことか。

 

前者については、ケビン・ケリー*2がこう言い切っている。

「インターネットの次に来るもの」 第10章トラッキングより

 インターネットは世界で最大最速のトラッキングマシンで、それに触れたものは何でもトラッキングされる。インターネットはすべてのものをトラッキングしたがっているのだ。われわれは自分自身をトラッキングし続け、友人をトラッキングし続け、友人や企業や政府もわれわれをトラッキングし続けるだろう。この事実はまず市民にとって非常に困ったもので、企業にとってもかなり影響があるが、それはトラッキングが以前には希少で高くつくものだったからだ。そうしたトラッキングへのバイアスに対して断固として闘っている人もいるが、ついには受け入れて連携しようとする人々もいる。トラッキングを飼い慣らし、市民のために生産的に使う方法を見つけた人々は成功していくだろうが、それを否定して違法にしようと試みる人たちは取り残されていく。消費者はトラッキングされたくはないと言うが、実際には自分たちの利便性のためにマシンに自分たちのデータを提供し続ける。
 トラッキングへのバイアスは、ただ社会的、文化的な傾向というよりテクノロジーによるものだ。だからこの国だけでなく、もしかしたら統制経済下やまったく違った建国神話を持つ国、どこか別の惑星でさえ同じバイアスがかかるだろう。ただ、トラッキングを止めることはできない一方で、遍在するトラッキングを取り巻く法的あるいは社会的制度は大いに物事を左右する。遍在するトラッキングは不可避だが、その位置付けについてはきちんと選んでいかなくてはならない。

 

まあ、そういうことです。ダメ押しすれば、データは18ヶ月で2倍になるので、2030年あたりには「ほぼ全てトラッキングされている」と腹を括っておいた方がいい。

じゃあ、どうするのということだけれど、課題は「トラッキングする政府や企業と、トラッキングされる個人の関係が非対称だと不安だよね」。ここ*3だ。小さい村や組織を想像すると、非対称が小さい、要は「筒抜け」なので、あまり気にならない。

この非対称問題に真面目に取り組んでいるのがEUで、来年の5月には「一般データ保護規則(GDPR、General Data Protection Regulation)が施行される。それによって、個人の権利が強化され、自分のデータを制御できるようになる。つまり、自分のデータを見せてくれ、消してくれ、移してくれ、などが政府や企業に言えるようになる。

ただ、政府や企業側のコストがどうなるのか、データのフォーマットなど技術的な課題をどうするのか、など見えていないことがいろいろある。やり方が悪いと、イノベーションが停滞するだろう。米国では、EUのルールはとんでもない、という声が多い。

ちなみに、中央のない分散型のネットを取り戻そうというエンジニアの動き*4も2010年あたりからあって、この先、破壊的なイノベーションがあるのかもしれない。

 

なので、EUの大規模な社会実験を横目で見つつ、イノベーションが加速するような、もう少しゆるいやり方がないかを探りたい。ひとつの目のつけどころとして、「プライバシー」と「データ利活用」の間にはトレードオフがあるけれど、「シェアリング」というのが入ると話が変わるというものがある。

簡単に言えば、若い世代ほど「シェアリング」>>「プライバシー」になっている。ソーシャルメディアはそうだし、リアルの世界でもそうなってきている。このへんの感覚は、正直に言えば、僕にはよく分からない。

ふたたびケビン・ケリーに登場いただくと「将来は、プライバシーのない、透明化社会だよね」と言っている。

「インターネットの次に来るもの」第10章より

 ビットは複製され、増殖し、リンクされたがるので、情報爆発やSFのようなトラッキングを止めるものはない。われわれ人類はデータのストリームからあまりに多くの利便性を引き出そうと切望している。われわれが直面している大きな選択は、どういう種類の包括的トラッキングを望んでいるのかというものだ。全展望監視(パノプティコン)のように、彼らはわれわれのことを知っているがわれわれは何も相手のことを知らない一方向なものなのか、あるいは見ている人もまた見られているような相互に透明な「共監視」なのか。前者は地獄で後者なら扱いやすい。 

 これだけの引用だとピンとこないかもしれない。著作中ではかなり熱く、具体例も引いて語られているので、続きは読んでください。

 

「扱いやすい」とケビン・ケリーが言う理由は、我々がプライバシーを気にし出したのは、人類の歴史でみればごく最近の話で、はるかに長い時間をお互い丸見えの中で過ごしていて、それが「自然状態」だから。そうかなあ。どうでしょうか?

いずれにせよ、僕らはトラッキングのあり方について、大きな岐路に立っていて、今回の改正個人情報保護法や、1年後の欧州のGDPRなどは、その一里塚になる。こんな大きな選択は、億人単位でコンセンサスはとれそうにないし、徒らに「不安だ」と叫んでも、よいことはなさそうだ。

そうだとすれば、どこかのローカルコミュニティで、シェアリングが日常になりつつある世代にどんどん入ってもらって、何かやってみたい*5と思う。

*1:http://www.meti.go.jp/press/2017/05/20170530007/20170530007.html ヤフーの安宅さんや事務局である経済産業省産業再生課の井上課長など、とにかく関係者の熱量がすごくて、ぜひ読んでいただきたい。

*2:Wiredの生みの親で、テクノロジーについてのビジョナリー。2016年は「<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則」が話題になったが、米国の次に中国で発売されたのがなかなか象徴的。

*3:マイナンバーについても、この非対称性がまだまだ解消されていない。7月にマイナポータルのサービスが開始されると、ギャップは小さくなっていくが。

*4:データを再び個人の手に──「ウェブの父」ティム・バーナーズ=リーが挑む、ウェブの“再発明”|WIRED.jp ティム・バーナーズは2009年あたりから、こうした取り組みをしている。また、最近だとドイツのエンジニアが開発したマストドンも興味深い。

*5:http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01tsushin01_02000221.html 総務省では、2017年度に「データ利活用型スマートシティ」の実証を、いくつかの地域で始める。