太田直樹のブログ - 日々是好日

テクノロジーが社会を変える

愛、そして自分を殺すこと


祇園のおばんざい屋さんで晩飯を食べていました。最近は駅弁かこってりした外食ばかりなので、「菜っ葉の炊いたん」とかが無性においしく感じられます。ただ単に歳をとっただけなのかもしれませんけれど。

おかみさんと寺の話していて、建仁寺の話になりました。祇園の歌舞練場の近くにある寺で、いつも自転車で通り抜けてくるそうです。

昨日、NHKの「プロフェッショナル−仕事の流儀」をみたのですが、その建仁寺の庭を手がけ、海外からの依頼も多い京の庭師がいます。北山安夫さんです。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070215/index.html

番組中、印象に残ったのは、「仕事には愛がないといけない。それにつきる。」という言葉です。実は、番組で紹介されている仕事ぶりはかなりドライで、樹齢100年の樹でもばっさり切ることもあるのですが、仕事に取り掛かる前は、庭の木々に日本酒をまき、語りかけてから取り掛かるそうです。「俺に任せてくれ」と。

振り返ると、私のコンサル時代、自己の成長にひたむきに突っ走りながらも、最後まで業績評価の課題として残ったのは、実は「愛」でした。(こんなことを評価する会社も珍しいかもしれませんね。書いていて思いました・・・)

評価シートには、「to be warm」とか「need empathy」などと書かれており、当時はそれに合点がいかず、コンサルタントとしての腕にもそこそこ自信があった私は、上司と激しくやりあったこともあります。

しかし、プロマネになって3つ目のプロジェクトくらいでしょうか。「このクライアントのためには出来る限りのことをやりたい」と心底思うことがあったのです。(それまでは結構ドライでしたね)それ以降、自分の中で何かが少し変わったような気がします。

話は、北山安夫さんに戻って、もう一つ気になった言葉があります。それは、「自分を殺して、自分を活かす」というものです。

これは難しいですね。コンサルティングも長くやっていると、間接的にではありますが、蓄えた経験やノウハウをもとに、クライアントに対してそれなりのパワーを持つことがあります。そして、クライアントからも「外部の知見」ということで、それを期待されたりもします。

その際に、「己」をどこまで出すべきなのか。北山安夫さんは、腕に自信があって独立した当初、「己」を前面に出した仕事をして、ある寺の住職にどなられたと言います。

そしてこう悟るのです。400年の歴史があるその庭には、生半可なことでは手を加えられない。また、己を出さないことが、自然な庭を生み、それが感動を呼ぶ。実はそうすることで自分が出ているのだ。

コンサルティングではどうなのでしょうか。直感では、北山さんの庭作りといろいろ似ているように思います。コンサルタント、あるいは、わたしの形跡が残らない企業改革。そして、社員のひとやお客さんが、「いい会社だなあ」とふと思うこと。

正直に言えば、いまはまだよく分かりません。高いプレッシャーの中でそのような境地になれるかどうか・・・。多分わたしの仕事には、まだまだ自分が強くでているように思いますね。でもいつかは・・・