やっぱり落語はイリュージョン
行ってきました、鈴本夏祭り。さん喬と権太楼が主任を務める(私にとっては)夏の一大イベントです。今回もいい「真夏の夜の夢」を見せてもらいました。
まず、先日もトリで観ていいなあと思った古今亭菊之丞。演題は「浮世床」。まだ若いのですが、いい風情を漂わせていますね。
昭和の初期くらいまでは、休みの日にひまな大人がたむろするのは床屋か銭湯と相場が決まっていたそうで、床屋で本を読んだり、碁を打ったり、寝転んだりするところを「浮世床」といいます。なんて素敵なネーミングでしょうか。なんだかこう極楽のような場所を想像します。サゲは「夢だった」という噺ですが、こんないい夢を見れる場所を私もほしいものです。
トリは大作の「子別れ」。今日はさん喬が前編、踊りと紙切りをはさんで、権太楼が後編です。
子別れの前編は、熊さんが吉原の花魁にはまって、女房子供に愛想をつかされ、あげくにひっぱりこんだ花魁にも逃げられるドタバタなのですが、さん喬の語り口に引き込まれて会場がシーンと怖いくらいに静かになりました。目の前には熊さんが「極楽」と言った吉原の風景が見えるようでした。
そして、権太楼の後編。こちらは人情噺です。女房子供に逃げられて3年後、仕事で隣町を歩いていた熊さんは息子とばったり出会います。この息子を権太楼はけなげに描くのです。そしてクライマックス、感極まったお客さんが思わず拍手をします。熱演する権太楼。演じている本人も涙していました。
昨年の夏祭りの際に、談志の言葉をひいて「落語は人間の業の肯定だ」と書きましたが、この「子別れ」にはそれが見事に凝縮されていると思います。
人間は欲深く、なさけないものですが、それを何とか学習というものでまとめています。でもまとめきれない混沌としたものがあって、それが夢だと。
さて、あなたにはいい夢が見れる「浮世床」がありますか?
「落語に見るイリュージョン」
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