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日々是好日

テクノロジーが社会を変える

落語に見るイリュージョン

毎年恒例の鈴本夏祭りに行ってきました。さん喬と権太楼が主任を務める企画で、千秋楽の今日は、立ち見がでるほどの盛況でした。

寄席が終わって、私は立川談志が、落語の本質について言っていた話を思い出しました。
「落語というものは、人間の業の肯定だ
ということを言っていたでしょ。人間には、性悪説性善説があって、俺は性悪説のほうをとっている。それに対して、善は学習から生まれるものだと思う。」

落語には、考えてみると、人間の欲深さ、嫉妬、見栄などがテーマのものばかりです。それらには、何も与太郎だけではなくて、自分にもありえるなあ、という時代を超えて通じるものがあるように思います。

しかし、談志はこうも言うのです。少し長くなりますが、
「でも、学習されたことが、全部その通りに出てくるとは限らない。夢の中の世界のように、非常に混沌としたものが存在して、それを学習という名で、どうやらまとめているのが、人間というものである。でも、まとまらない部分があるはずなんですよ。それを求めるから、イリュージョンという名の手品を見たり、夢でバランスをとってみたりするのではないかと。そういう言い方をすれば、決して業の肯定というのは間違っていなかったのだと思う。」

今夜、権太楼がやった「天狗裁き」、さん喬の「ねずみ穴」、どちらも「夢だった」というサゲです。特に「ねずみ穴」は悪夢なのですが、その夢と現実の間に、人間の努力と愛情がさらりと語られます。舌足らずな説明で申し訳ないのですが、じんときました。

千秋楽ということで、最後は、さん喬と権太楼が音頭をとって、お客さん全員で3本で締めました。明るい気持ちになりました。